七島藺は西暦1,660年頃より、府内、日出、杵築の各藩において栽培が行われ、明治、大正、昭和と大分県の特産品として全国に送られていました。

ピーク時は500万畳あまり出荷され全国一の生産地でしたが、
藺草の栽培のしやすさや織機の自動化で畳表が七島藺から藺草へ移行し、半自動生産の七島藺表は衰退していきました。

現在では、生産者も10名を切り平均年齢も70歳以上です。
年間出荷枚数も3,000枚弱と産地消滅の危機を迎えています。

しかし近年、琉球畳として再び注目を浴び、都市圏の自然志向や本物志向の消費者の増加や、中国製の琉球畳表への不信感などで国産琉球畳[七島藺表]のニーズが高まり注文は大幅に増加していますが、生産者の高齢化や機械化の遅れで、産地としての責任を果たせず、対応に苦慮しております。

この七島藺を再生することにより、七島藺生産農家の生産拡大・所得の向上に繋がるとともに、企業や、集落営農などの新規参入を積極的に受け入れることで、新たな地域産業をつくりだすことが出来ると確信しております。

また平成23年度、文化庁から大分の七島藺がふるさと文化財の森に設定され、日本にとっての文化財を守るためにも貴重な地域資源とされました。

以上のことから、この七島藺を大分の伝統産業として保存するとともに、地域産業の新たな柱とする為に多くの方に協力を仰ぎ、支援の輪を広げて参りたいと思います。

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会 長 林 浩昭
副 会 長 冨永 六男
監 事 松原 正
事務局長 細田 利彦

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